有近まちこの生立ち 柳井への想い


私は、三姉妹の三女として生れました。予定日を1ヶ月過ぎても生まれてこなくて待ちかねていた母方の祖母(伊保庄)が、「眞知子(まちこ)がいい」と名付けてくれました。

 

私は父の出身地・徳地町(現山口市徳地)で暮らしましたが、伊保庄の祖父母のところへ遊びに行くのが大好きでした。海水浴をしたり、潮干狩りをしたり…。そして、祖父母の話を聞くのも楽しみでした。

 

祖父は・山本眞太郎は山口県議会議員だったため、政治や時事に関する話題が多かったのですが、なぜかとても面白かったと記憶しています。なかでも、「人の役に立つ人間になれ」という言葉は深く心に刻まれました。「自分のことはさておいて、人のために身体を動かして働きなさい」。そんな祖父と、とても陽気な祖母と一緒に過ごす時間が、穏やかで心地よく感じていました。

 

上京して大学で法律を学び、アメリカへの留学も経験。法律事務所勤務を経て、弁護士を目指すため柳井へ戻ると、広島大学法科大学院(3年間)に往復5時間をかけて通学しました。その間、伯父・山本繁太郎さんを囲む「しげたろう塾」にも通い、政治・行政について学びました。そこの仲間と団結して、県議会議員・星出拓也さんの初選挙(8年前)を戦ったことを思い出します。

 

伊保庄の海と温かい祖父母、長距離通学の思い出としげたろう塾の同志たち、そして何よりも、柳井まつりの花笠音頭が聞こえてくると、勝手に体が踊り出すこの気質。私にとって柳井は、大切な心の故郷です。